4月。 心地よい日差しの中、カタンカタンと響く音で目が覚める。 まだ重たい瞼を少しあげると、色づきはじめた景色が目に飛び込んで来た。 遠く霞む山にぽつりぽつりと見える山桜のピンク。 田舎だ。 景色はゆっくりゆっくりすぎていく。 駅と駅の感覚がとても長くて、まるで長旅に来たような気分に陥る。 またすこし、うとうとした気分のまま目を閉じた。 ああ、だめだ、起きないと、寝過ごしちゃう。 ”次はー 八十稲葉ー 八十稲葉ー” 夢うつつの瞼の裏で、真っ赤な目をした兎を見た気がした。 - 4月の邂逅 - side.n 【すまない、用事が入ってしまったから、タクシーでも拾ってここの住所まで先に行ってくれないか】 そんな旨のメールが、携帯に入っていた。 送信者の名前は堂島遼太郎。 母親の弟、つまりは叔父にあたる人物からのメール。 ようは、用事が出来てしまったから迎えにいけない。 だからタクシーで先に家まで向かって欲しい、ということらしい。 確か、叔父の職業は刑事という話だ。 中々融通のきかなさそうな職種ではある。 文末にはタクシー会社の電話番号と、これからお世話になるであろう家の住所があった。 ぐるりとあたりを見回すと、コンビニもないし、人影もない。 まさに、田舎。 そんな感じ。 携帯に送られて来た住所を検索して、地図で見てみる。 やっぱり、携帯は便利だ。 八十稲葉は小さい町のようだった。 歩いても差し支えないかもしれない。 ずっと座って電車移動だったから、少しぐらいのウォーキングは気分転換にもなるし。 荷物もそんなに多くない。大丈夫。多分。 4月の、柔らかくて少しまだ寒さの残る陽気の中、鳴上悠は颯爽と歩き出した。 歩いてればつくよね、そんな軽い気持ちで。 「・・・・」 なんとかいう川の、河川敷。 たしか、鮫? 川なのに、鮫が出るんだ。おかしな町だ。 そんな的外れな考えがぐるぐるとまわる。 そう。迷った。ものの見事に。 初めて来る町、初めてすれ違う人。 そして全然わからない道。 舐めていた。色んな意味で。 やっと携帯の地図にのっていた一番わかりやすい目印、【鮫川】を見つけたのは、歩き始めて1時間後のことだった。 ふらふらと階段を降りて、少し大きめの石の上に座り込む。 ここなら多分、座っても服は汚れない。 駅を出る前はちょうど良かった気温も、歩き通しであがった体温には少しあたたかい。汗ばむ程度に。 「つかれた、なぁ・・」 ぽつりと呟けば、更に体が重くなる気がした。 長い電車の旅を終えて、1時間のウォーキング。まるでトライアスロンだ。 次は鮫川遊泳でもやらなきゃいけないんだろうか。 多分、面倒だからってローファーのまま来てしまったのもよくなかった。 なんだかつま先が痛い。 でも、地図通りだとしたら目的の堂島家はもう近い。 あと少し歩けば、到着するはず・・・ でも、やっぱりあと少し休憩しよう・・。 そよそよと風がそよいで、河川敷の雑草を揺らしている。 魚がいるんだろうか、時々ぱしゃりと跳ねる音が聞こえる気がした。 春の陽気、風の音、せせらぎ 睡眠の世界へと誘うトリプルコンボ。 抗えるわけがない。 「・・もういいや、うん」 そんな独り言を呟いて、ふわふわした雑草の上に寝転がる。 土はかわいてる。大丈夫。 鼻をくすぐるのは濃い草いきれと、甘い野花の匂い。 タンポポ?レンゲ?シロツメクサ? 視界に白と黄色とピンクがちらついて、ふわふわ揺れる。 電車の時と同じ、夢うつつの瞼の裏に鈍い黄金。 でもそれは白く霞んで、だんだん見えなくなっていく。 夢の中で手を伸ばしてみても、多分それは白い靄をかすめるだけ。絶対に届かない。 そんな予感が、した。 side.a 「あー・・・めんどくさい。疲れた。もうやだ。」 ガサリガサリ、草をかきわける革靴。 乱暴に踏みつぶした雑草が、靴底に擦り付けられている。 濃い草いきれが広がっていく。 くたびれた背広に似合わない真っ赤なネクタイ。 中央にいた時に使っていたネクタイは全部捨ててしまったから、こっちに来た時適当に2・3本見繕った。 そのうちの1本。光沢感が安っぽくて、目に優しくない。 計らずも直属の上司と同じ色のネクタイで、なんとなく外しがたく毎日つけてきている。 この町は穏やかだ。 凶悪事件も起こらないし、仲間同士の腹の探り合いも、足の引っ張り合いもない。 クソみたいに穏やかすぎて、1週間で気が抜けた。 上司には怒鳴られた。 明日の展望もなく、財布の中身も寂しく、目的も、楽しみも、彼女もいない。 こんな毎日をこれからあと何日続ければいいんだ。 くだらない、つまらない、クソすぎる。 草の上にそのまま座り込んで煙草を引っ張りだす。 スーツが汚れたって知るもんか。 「・・・最後の一本かよ。クソッ、めんどく・・」 ・・・・。 「・・・・・・・なにこれ」 煙草に火をつけようとポケットに手をつっこんだ。 そのまま視界を左に向けた。 そしたらなんか女の子が草に埋もれていた。 家出? 殺人事件? てか死んでんのか?生きてんのか? おい、猫にまとわりつかれてるぞ、生きてんなら起きろ。気付け。 「しっし、向こういけ」 仕方がない。まさかこのまま放っとく訳にも行かない。 さぼってるとはいえ今は勤務中だし。 猫を追い払ったらとにかくまず脈をとる。細い手首と首筋に指をあてて、口元で呼吸を確認。 爆睡してやがる。 横向いてるし、顔はほとんど長い髪に隠れて見えない。 ゆるく三つ編みにした髪は色素が薄くて、太陽の光に透けていた。 ここいらでは見かけないタイプの・・・多分、女子高生ぐらいか。 すぐ傍には、多くはないがけして少ないともいえない荷物が置いてある。 ・・・面倒だけど、職務は全うしなくては。 「ねぇ、君。どうしたの、こんなとこで。ちょっと」 肩に手をかけて揺さぶる。 起きない。 「君、起きなさい。こんなところで女の子が寝るもんじゃないよ。起きなってば」 声のボリュームをあげた。 起きない。 「・・・ちょっと、いい加減起き・・・」 あ。 起きた。 「・・・・・・・おはよう?」 その瞬間、導火線が弾けたみたいな音が、頭の中に響いた気がした。 美少女。 超がつくほど美少女。 こんな田舎じゃお目にかかれない、いや、都会でも難しい。 なにこの子。 どっか別の世界から迷いこんできたんじゃないの? ってレベルの美少女。 しばらく何も反応できなかった。 「・・・・あれ、ドコ、ここ。」 え、ほんとに別世界から来たみたいなアレ? 不思議の国みたいな感じ? 灰色の髪をした女の子はキョロキョロとあたりを見回し、太陽に位置と時計を確かめて、 さっと顔を青ざめさせた。 「!!!!!」 ぼーっとしていたのが嘘みたいに立ち上がり、隣に置いてあったカバンを引っ掴んで 「きゃ!!!」 こけた。 盛大に。 パンツは見てない。神に誓って。 「ちょ、大丈夫?」 「・・・だ、だいじょうぶ、です・・・」 「君、このあたりの子じゃないよね?どうしたの、急いで行かなきゃいけないとこあるの?」 「いえ、あの・・・叔父さんの家に行こうとして、それで、休憩してたら寝ちゃって、あの、」 なるほど。 いくら田舎で開けているとはいえ、土地勘がないと迷いもするだろう。 僕は彼女に案内を申し出た。 決して下心からではなく、親切心からだ。 大体、道に迷った人を助けるのは警察官の本業みたいなもんだろう。 ほら、童謡にもあるじゃないか。 犬のおまわりさん。 迷子の子猫ちゃんを送り届けるのは立派な仕事だ。 職務放棄でもサボりでもなんでもない。 住所を聞いたら、すぐそこだった。 少し残念だったけど、わざわざ遠回りして不信感を持たれるのは本意じゃない。 素直に案内することにした。 「・・・すいません、ありがとうございます。助かります。」 困ったようにはにかむ笑顔がなんだか、こう、言葉にできない。 久々だこんなの。 ああ、だめだ、これはよくない。 ガキじゃあるまいし、こんな、 こんな、今更恋に落ちるなんてのを体験するなんて そんなバカな話があるもんか。 |