4月、僕は女の子と出会った。 高校生の女の子だ。 名前を、鳴上悠といった。 5月の憂鬱 side.a そう、僕は鳴上くんに出会ってしまった。 4月の河川敷、鮫川の水が跳ねる音、遠くで聞こえるガキの笑い声。 そして、彼女の眼差し。 年甲斐もなく、一目惚れってやつをしてしまった。 結果的に言うと、5月になった現在。 彼女との交流はまだ続いている。 これまたよく出来た話だけども、彼女は自分の上司の姪っ子だったらしく。 その姪っ子は、親の都合でこの八十稲葉に越してきたそうだ。 まったく、よく出来た話だと思う。 「こんばんは、足立さん」 自分が一目惚れした子が、こうやって、(上司の自宅とはいえ)玄関に立つ僕を笑顔で迎えてくれるんだから。 堂島さんはひとりもんの僕をそれはもう暑苦しい感じで構ってくる。 飯ちゃんとくってんのか、からはじまり、それはもう正直ほっといてくれそんなもんって事までだ。 彼は、しばらく前に奥さんを交通事故で亡くしたらしい。 娘さんがいるみたいだけど、そういう意味では彼もひとりもんてことか。 親近感でも感じてるのかもしれない。 それで、たまたまあがりが一緒になったわけで。 上司の言葉には中々首を横にふり辛いってことで。 まあ、お呼ばれすることになったんだけど。 これまた運命の再会ってやつで、前述の通りではあるけど彼女は上司の姪っ子だったわけだ。 彼女の手料理をご馳走になり、手酌までしてもらい(缶ビールなんか直接飲むからいいよって言ったのに) それはもう出来た娘さんなのだと僕の頭にはインプットされた。 「また来てくださいね」 彼女は最後の笑顔まで完璧だった。 本当に、よく出来た子だ。 そんな風に上司に家に連れられる以外には、例えば鮫川の河川敷。 ジュネスのエレベーター前やフードコート。 商店街で偶然ばったり。 とまぁ、意外と遭遇ポイントは多い。 彼女は一人だったり、学校の友達と一緒だったり、(あの派手なヘッドフォンつけてるやつは彼氏か?) はたまた菜々子ちゃんと一緒だったり。 パターンは色々、だ。 最近は学校帰りの彼女に鮫川で遭遇ってのも増えて来た。 まあ、それは僕がことごとく仕事をさぼって町中をうろうろしているからでもあるんだけど。 そして5月も半ばに入って爽やかな空気の中、鳴上くんは鮫川のベンチでぼぅっと座っていた。 嬉々として話しかけにいっちゃうあたり、僕も大概盲目なんだろうね。 「や、こんにちは」 「!!!・・・あ、足立さん。こんにちは」 なんだか、おかしな反応。 声をかけるとびくってして、なにか、怖がってるみたいな。 こっちを見るとすこしほっとして、へにゃりと笑いかけてくれる。 やっぱりかわいい。 あ、でも、なんだか疲れてそうだな。目の下に、うっすら隈。 「家、帰んないの?」 「・・・・えと、ちょっとだけ、ここにいたい気分で」 「なんだ、ホームシックとか?」 「いえ、そういうわけでもないんですけど」 珍しい。 彼女は人の意見を尊重する、いわゆるよくわきまえる性格だけれど、こんな端切れの悪い言葉は使わないタイプだ。 言いたいことははっきり言うし、自分の意見をしっかり持ってる。 曖昧にしたり濁したりしない。こと、自分のことに関しては。 まあ、それは僕が勝手に思ってる部分も多少あるんだけど。 とにかく、今日の彼女はなんかちょっとおかしかった。 なんだかソワソワして落ち着かなさそうだし。 目の下の隈も気になる。 恥ずかしながら、一目惚れしてしまった女の子のことだ。 気にならないわけがなかった。 「・・・ガム食べる?」 考え込んでたらいつの間にか沈黙の時間が長くなってた。 それを打開するのはなんともありきたりな一言。 情けない。 でも、鳴上くんはにこりと笑ってガムを受け取ってくれた。 「・・足立さん、こんなからいガム食べるんですか・・」 「あ、ごめん。苦手?」 「・・・苦手ではないですけど・・、う、ぴりぴりする・・」 「む、無理だったら出していいからね?」 「でも、一回口にいれたし、大丈夫です」 しまった。 ブラックガムは辛かったみたいだ・・・。 それでも律儀に噛んでるこの子は、ほんとにいい子だ。 今度から甘いのも持つ様にしよう。あめ玉とか。 ていうか、そうだ。肝心なこと聞いてない。 「で、なんかあった?ホームシックじゃないなら、クラスに馴染めないとか・・・」 「いえ、友達は、みんなやさしいし、楽しいです。」 「それじゃあ・・・、っと、ごめんねなんか。根掘り葉掘り聞くみたいになって」 「ううん、心配してくれてるんですよね。嬉しいです。」 鳴上くんは少し眉をさげて笑った。 これは初めて見る表情かもしれない。 ちょっと困ったみたいな、でも照れたみたいな笑顔。 素直にかわいい。 でも、その顔はまたすぐに曇ってしまった。 まあでも、正直友達でもなんでもない僕に何か相談するっていう方がおかしいんだ。 むしろこうやって嫌がらずに喋ってくれているほうが奇跡なんじゃないかな。 そうだよ、僕はただの『叔父さんの仕事仲間の人』それ以上でもそれ以下でもないってこと。 プラス、出会ってまだ1ヶ月ちょっとのオプションつきだ。 彼女のことは堂島さんや新しく出来た友人達に任せて、見守るのが最善。 そう結論づけてその場を離れる言葉を口にしようとしたとき、ふいにすがるような瞳でこちらを見る鳴上くんと目があった。 「あの、足立さん、少しだけ話を聞いてもらえませんか」 あれ、なんだ、これは。 僕の予想斜め上をいく言葉が、彼女の口からこぼれでた。 side.u 初めての時はほんの少しの。 二回目は、なんだろう。なんだか肌がざわざわするような嫌な感じ。 そして三回目で確信した。 なんか気持ち悪いことになってる。 下駄箱に入れられたラブレター。 中身はA4用紙をびっしり埋めつくす言葉達が合計5枚。しかも直筆。 最初の5行まで読んで気分が悪くなって捨てた。 靴の中に何か入ってると思ってひっくり返したら小さいキーホルダーだった。 所謂カップルが買う2つで1つの片割れみたいだった。 変な声が出た。そのまま廊下のゴミ箱に捨てた。 帰り道、大勢の下校途中の生徒の足音の中に何か混ざってる気がした。 早足で歩くとそれも早足になる気がした。 振り返ってもそれがどれなのか、誰なのかわからない。 不安になって里中さんと天城さんに電話して一緒に帰った。 堂島家のポスト。 確認すると宛名のない白い封筒がまざっていた。 嫌な予感がして見たくなかったけど、もし堂島さんへの手紙だったらよくないから。 確認して、後悔した。 下駄箱に入ってたのと同じだった。 しかもまた全部直筆だった。 気持ち悪くなってそのまま寝てしまった。 それが5月はじめの話。 まだ、誰にも相談できていない。 side.a 基本的に、人を煩わせたくないんだろうなと思った。 今にも泣きそうな顔してるくせに、彼女はなんでもないように僕にぽつぽつと言葉をもらしている。 最近、ちょっと、困ったことがあって。 下駄箱にラブレターがよく入ってて、こういうの初めてで嬉しいんですけど、なんかほら、 必死すぎてちょっと怖いなぁみたいな内容で。 あと、それが堂島さんの家のポストにも入ってる時があって、叔父さんや菜々子ちゃんに見られたらちょっと恥ずかしいし。 直接言いにこないから、なんかそわそわして気になっちゃって、あんまり寝てないんです。 ・・・こんなくだらないことで心配かけちゃって、ごめんなさい。 彼女の言葉をそのまま解釈すると、そういうことだった。 話しているうちに、僕の表情があまりよくないことに気づいたんだろう。 鳴上くんは最後には申し訳なさそうに謝った。 こんなど田舎に左遷されて、出生街道からつまはじきにされた僕だけど、これでも刑事だ。 彼女の言葉がかなりソフトに改竄されているのは一発でわかった。 多分、もっとよくない目にあっているんだろう。 下駄箱やポストに入れられてたのは多分ラブレターだけじゃない。 ゲスい"贈り物"もあったはずだ。 そういうことをするやつが、何かを置き去るだけで満足しないことはこれまでのセオリーでわかりきっている。 今はまだそれだけかもしれない。でも、確実にエスカレートするだろう。 鳴上くんは困った様に笑っている。 ちょっと誰かに話してみたかっただけなんです、気にしないで下さいね。 そんなことを言いながら。 なんだ、意外と不器用な子なんだ。 料理が出来て気だてがよくて可愛くて、でもしっかり自分の意見を持っていて。 なのに、人に頼ることに慣れていないのか。 今は夕方の6時。 クラブ活動をしていない学生はとっくに家路についている時間。 彼女も、荷物から見るとクラブ活動はしていない様子だし。 なのに、まあ推測だけど、1時間もこんな何も無い河原のベンチで座ってる。 家に帰りたくないんだろう。 ポストをあけるのが怖いんだろう。 部屋に入って、なにかおかしいことがおこっていないか確かめるのが怖いんだろう。 なのに、叔父や姪、友人に心配をかけまいとこんなところで1人でいる。 不器用すぎる女の子。 誰にも相談できなくて、多分1人で泣いてたんだろう。 「じゃあさ、僕で良かったら話聞くよ?」 「え?」 「ほら、僕も一応大人だし。経験もまあ、そこそこ豊富?だし。 そういう相談ごとには多分アドバイスしてあげられるかなって思って。あ、迷惑?」 「ううん、そういうわけじゃ、ていうか足立さんのが迷惑じゃないですか?」 「まあ、見ての通りひとりもんだし。夜型だから遅くまで起きてるけど、部屋では本読むかDVD見るかぐらいしかしないし。 暇なんだ。眠れないなら雑談ぐらいつきあうよ。鳴上くんが嫌じゃなければね」 「・・・いいんですか?」 「もちろん。はい、これ電話番号ね。アドレスもついで交換とかする? 堂島さんが遅い日とかメールしてあげるよ」 「・・あ、ありがとうございます」 鳴上くんはびっくりして僕と携帯を交互に見て、それから少し笑った。 良かった。いつもの笑顔にちょっと近づいた。 少し強引だったけど、仕方ない。 こういうのは放っておくと結構最悪のパターンに陥るケースが多い。 手に届く範囲にあるんだ。 それなら、守ってあげたいと思ってしまった。 なんだ、おかしいな。とことん僕らしくない。 僕、こんなキャラだっけな。 「ん、登録完了。・・鳴上、悠ちゃん、だよね?」 「はい。足立さんは、えーと、とおるさん?ですか?なんかぴったりですね」 「え、そーかな?そんなの言われたの初めてだよ」 他愛のない会話がすごく楽しくて愛しい。 とおるさん、なんて言われてドキッとしたのは内緒だ。 結局、その日はそのまま彼女を堂島家まで送って帰った。 だいぶ暗くなってたしね。 道すがら、いつもよりたくさんのことを話したと思う。 好きな食べ物のこととか、学校のこととか、堂島さん、菜々子ちゃんのこと。 それから、鳴上くんのこと。 同じ、都会から来たもの同士通じる所もあったのかもしれない。 家まで送ってそのまま帰るのもなんだからジュネスに寄っていくことにした。 冷蔵庫空っぽだし。 そしたら、滅多にならないメールのバイブ音。 ディスプレイには”鳴上くん”の文字。 『今日は本当にありがとうございました。またご飯食べにきてください。 今度は、足立さんの好きな料理つくってみますね。おつかれさまでした。』 メールを開くとこれまた、かわいい文章が。 思わずジュネスで身悶えた。 すぐそばにいる女児が不審そうに僕をみて、見ちゃいけません!みたいなテンプレートそのまんまの台詞を母親がはいて女児を攫っていった。 今日ばっかりは仕方ない。 だってこれ、このメール、あ、保存しとこう。 side.u 足立さんと電話番号を交換した。メールアドレスも。 ポストに何も入っていないのを確認して、さっそくメールをしてみた。 当たり障りのない文章に、いっぱいの感謝をこめた。 足立さんは多分、気づいてる。 自分が本当のことをちゃんと言ってないって。 気づいて、無理に聞き出さずにこういう形をとってくれた事がすごく嬉しく、好ましかった。 本当に、嬉しかった。 ずっともやもやしてた気持ちが少し晴れて、あたたかいものに占拠された感じがする。 足立さんになら、全部相談できるかもしれない。 そんな淡い期待を抱いてしまう。 とりあえずは、次足立さんが家に来た時は牛肉とキャベツの炒め物を作ろう。 明日はジュネスでキャベツを買って帰らなきゃ。 久しぶりに穏やかな眠気が襲って来て、そのままそっと目を閉じた。 おやすみなさい。 |