5月。あの子と連絡先を交換した。 まあちょっとずるかったけど。 でも、あの時のぼく、よくやった! 6月の予感 side.a なんの面白みもない、初期設定のコール音が鳴り響く。 僕はビール片手に携帯を開いて、それはもうどうしようもない顔でにんまりと笑った。 送信元は『鳴上 悠』 直属上司のかわいい姪っ子だ。 どうかわいいかってそれはもう言葉では言い表せないよね。 『こんばんは、おつかれさまです。今日は、菜々子ちゃんと一緒にロールキャベツつくったんです。 前に好きって言ってたので、また食べにきてくださいね。』 そんなメールがこれまたかわいい上司の娘とロールキャベツがうつった写真と一緒に送られて来た日にはもう、もうね。 鼻歌でも歌っちゃいそうな勢いでメールを返信する。 おいしそうだね、ロールキャベツ好きだよ。 週末堂島さんに誘われてるから行くかも。 内容は、出来るだけ冷静に。間違ってもハートの絵文字なんてつけない。 どう考えても気持ち悪がられるのがオチだから。 メールを送って、ふと壁にかけたカレンダーを見る。 まだ5月のままだ。確か、こないだ衣替えがあったはず。 署の女性職員が一斉に半袖になっていた。 うだるような湿気と蛙の鳴き声。 季節は梅雨に入ろうとしていた。 side.u 梅雨だ。 昨日から、しとしとと雨が降り続いている。 別に嫌いというわけでもないけど、舗装されていない道を歩くと靴が汚れるからあまり嬉しくはない。 6月に入って、学校にもずいぶん慣れて来た。 クラスメイトは里中さん、天城さん、花村くん、後輩にも知り合いが出来たし、クラブ活動に入って他クラスにも友人が出来た。 みんないい人で、楽しくておもしろい。 最初は少し心細かったけど、今はそんなこともない。 稲葉の人はなんだかあったかくて、すこしくすぐったい感じがする。 少し早めに家をでたから、通学路はあまり人通りがなくてなんだか静か。 雨音と蛙の声に自分の足音も消されてしまう。 今日は雨だけど、確か吹奏楽の部活があったはず。 後輩の女の子がとっても可愛くて頑張り屋で、ついつい面倒を見てしまいたくなる。 授業は、昼休みは、放課後は。 そんなことを考えながら雨の道を歩く。 ああ、そういえば。 最近あの変な手紙が来なくてほっとしてる。 さすがに堂島家のポストにまで入っていたときは鳥肌がおさまらなかったから。 このまま何事もなければいい。 優しい叔父さん、菜々子ちゃん、それに友人達に心配をかけたくない。 そう、あの刑事さんにも。 ちょっと間の抜けた喋り方とへらりとした笑顔が頭に浮かんで、くすりと笑みがこぼれた。 きっと、この雨にもぼやきながら仕事してるんだろうな。 「鳴上ーー、おはよーさんっ!・・あ、なに?思い出し笑い?」 「あ、おはよう」 「うぉっ、スルーされたよ・・・」 後ろから軽快な足音ともにやってきた花村くんと学校へ向かった。 いつも通りの登校風景。 ただ、時間が早いから人がすこしまばらなだけ。 他愛ない話をしていたら、いつの間にか学校に到着していた。 「え」 閑散とした昇降口。 いつも通り靴箱をあける。 いつも通り上履きをはこうと手を伸ばして、違和感に気付く。 なに、これ、へんなにおいと 上履きに触れた指先につくなにか、 しろい、まとわりつくような、 おそるおそる、目を凝らして、思わず吐き気が込み上げた。 「ひ・・・・っ、いやあああ!!!!!」 「!?なっ、鳴上!!どうした!?」 花村くんの声がわんわんと頭に響く。 足はもう力が入らなくて、なさけなくその場に座り込んだ。 混乱、恐怖、嫌悪感、全部が入り混じって込み上げる吐き気が止まらない。 ただただ気持ち悪くて、涙まで出て来て、呆然とする花村くんに応えることすら出来なかった。 「・・・んだ、よ、これ・・・っ」 靴箱の中を見て、声を震わすのが聞こえる。 彼が怒った所はみたこともきいたこともない。 「ふざけんなよっ、この・・・、ぜってー許さねぇっ・・」 それでも、その声は怒りに震える声だったと思う。 それからは、もう頭がぼうっとしていて記憶も少し朦朧としている。 とにかく、人が来る前になんとかしよう。 そう、彼が言ったのは覚えてる。 躊躇いもなく自分の上履きを掴み水道に走って、帰って来たらどこからか持って来た雑巾で靴箱の中をぬぐってくれた。 「履くの嫌だろ。とりあえず洗ったけど、あとで焼却炉放り込もう。」 そう言ってスリッパを渡してくれて、座り込んだままの自分の手をとって屋上まで連れて行ってくれた。 もうそろそろ、生徒が登校してくる。 結局。 屋上に行っても涙は止まらず、しばらく彼の隣で泣き伏せた。 情けなかったけど、どうしても涙と震えが止まらなかった。 何も言わず背中や頭を撫でる手が暖かくて、余計に情けない気持ちになる。 チャイムの音が響いて、ああ、ごめんなさい。彼まで授業をさぼらせてしまった。 「・・・鳴上、今日はもう帰れよ。家まで送るから。な?」 「・・・・う、ん」 ごめんなさい、ありがとう。 そんな一言すら言えなかったけど、花村くんは困ったように笑って頭を撫でてくれた。 side.a 「・・・あれ?」 前から歩いてくるのは、見覚えがありすぎる制服。それに、髪の色。 おかしい。自分の認識がおかしくなければ、今は午前9:30。 善良な学生達は机に向かっている時間のはずだ。 それに。 隣にいる軽薄そうな男子。それなりに顔が良いのが少し腹立つ。 その彼が、寄り添うように彼女の隣を歩いていた。 正直、あまり良い気分ではない、が・・・ それより、彼女の顔色の悪さが気になった。 「君達、何してるの。ダメだよ〜学校サボっちゃ」 出来るだけフツーに。 本職の刑事っぽくね。 先にこっちを見たのは茶髪の彼で、それはもうわかりやすく”しまった!”って顔をした。 なんだ、やましいことでもあるのかな? そりゃ、こんな時間に学校以外の場所をうろつくこと自体がやましいことだと思うけど。 次に、緩慢な動作で彼女の視線が僕に向けられた。 ・・・え、なに、泣いてたの。 目尻が真っ赤で、ああ、ひどい顔をしてる。 いつもの笑顔がかわいい表情はこわばって、負の感情しかうつしていない。 「君、この子になにした」 ああ、だめだめ。だめだよ、こんなとこで素なんて出しちゃ。 二人が怪訝な表情してるじゃないか。 でも、 「ねぇ、答えなよ君。」 悪いけど、久しぶりにここは譲りたくないところなんだよね。 茶髪の彼は、鳴上くんに何か訪ねているようだった。 少しずつ、イライラがつもる。 早く答えろよ。 「あの、すいませんけどこっちで。」 思ったより低い声で、鮫川河川敷広場の少し奥のベンチをさす。 こいつも大概機嫌が悪いようだ。 彼女は、さっきから一言も喋らない。 なんだろう、胸にモヤモヤした何か。 あの時と似ている。左遷を告げられた日の夜、何も手につかずぐるぐると考え込んでいた。 不安と焦燥。 言葉にするなら、それなんだろう。 「・・・・・それ、ちゃんと警察に届け出た方が良いね」 話を聞いて。 僕は後悔した。 5月のあの日、彼女から話を聞いて。 メールや電話をして。浮かれきって。 彼女は何も言わないし、ふっきれたようにずっと笑顔だったから、大した詮索もせず。 バカみたいに舞い上がって。 犯罪心理学はさんざ勉強したじゃないか。 僕はバカか。 いや、バカだ。だからこんなに後悔してる。 これ以上、バカな結果にはしたくない。 「ええと、君、花村くんって言った?・・・この子のこと、僕に任せてくれないかな」 「なっ、で、でも!!!」 「僕は刑事だ。彼女とも知り合いだよ。心配しなくていい。 それに、君は学校に戻らなきゃ。・・・登校途中で鳴上くんが気分悪くなって、家まで送ったって学校に伝えておいて」 「・・・・・・・」 「内々ですませたいんだ。彼女に不利な要素は作りたくない。」 「・・・鳴上が、いいなら。」 花村くんが、彼女を伺い見る。 黙りこくったままだったけど、少しだけ顔をあげて僕と彼の顔を見た。 顔が真っ青で、僕まで泣きたくなる。 「・・・大丈夫、ありがとう、花村くん」 彼の顔が、少し歪んだ。 でもそれは一瞬で、すぐに人好きするような笑顔になって 『わかった、またメールするから無理すんな』 そんな一言だけ投げて来た道を戻っていった。 もう少しごねるかと思ったけど、彼女の手前あっさりと引いてくれたようだ。 案外空気の読める子なんだな。 真っ青な顔をして、制服のスカートを握りしめる彼女。 心臓が痛い。 何もしていないのに目の奥がつきつきする。 「・・・・鳴上くん、ごめんね」 「え・・・」 「あんなえらそうなこと言って、なんにもしないで。」 「・・そんな、足立さんは、わるくないです。」 彼女はそう言うけど。 やっぱり僕は自分が許せなかったよ。 「大丈夫、僕らが動くから。心配しなくていいから」 「・・う・・・う、ごめ、ごめな、さいっ・・」 なんで君が謝るの。 君が謝ることなんでひとつもない。 お願いだから泣かないで欲しい。 震える肩に触れて、そのまま引き寄せた。 ほんとにやわく、彼女の頭だけ自分の肩に触れるぐらい。 「だいじょーぶだいじょーぶ。ぼく、これでも刑事なんだから。」 「・・・・堂島、さんには・・」 「さすがにちょっと、黙ってるのは難しいかも。」 「・・・・・」 「・・大丈夫だよ、鳴上くんは何も心配しなくていい。」 「・・・っ、ひっく、」 だめだよ。 そんな顔で泣いちゃ。 君には、笑っててほしいのに。 触れるだけだったのを少し引き寄せて抱きしめた。 彼女は抵抗しない。 額をおしつけて、ぐすぐすと鼻をならす。 普段の彼女とのギャップが激しくて、目眩がしそうだった。 『 許せないよな 』 小さな田舎町、犯人はすぐに見つかるだろう。 こんなわかりやすい犯行をしてくれたんだ。見つけてくださいっていってるようなものだ。 正直、彼女自身に被害が及ぶ前で良かった。 もしそんなことになっていたら僕は多分 『 多分犯人を殺してただろうな 』 そう、滅茶苦茶に、八つ裂きにして、殺してやっただろう。 そんなイメージがリアルに脳裏に浮かんで離れない。 でも。 「鳴上くんが無事でほんとによかった」 「・・・・・あだ、ち、さん、」 「ほんとに、よかったよ」 君はこうして無事だった。 少し失敗はしたけど。 今度は絶対に間違えない。 『 すきだよ、なるかみくん 』 そう、僕は、君のことが好きだから。 今度こそ、 『 うまくいくと、いいな 』 |